●からだとことばのレッスンに参加して
(内山かず、WEF会員「共育つうしん」55号、2000年12月掲載)
最近、『教師のためのからだとことば考』竹内敏晴著(ちくま学芸文庫)という本に出会いました。著者は演劇創造とともに障害者療育に携わり、共に生きるための人間関係としての授業の追求もしています。その中で著者は、「ほんとうに話しかける、声で相手にふれるという、この人間の基本的な行為の能力が今わたしたちから、しらずしらずのうちに奪われていきつつあるのじゃないかと恐れている。ことば=声が相手のからだにふれ、『胸に沁み』『腑に落ちる』。つまりからだの内に入っていって、相手のからだとこころを動かす、変える、これが話すということでしょう。(中略)では、教育の場ではどうなのか?」と、問いかけます。
かねてから私は自分自身のからだの硬さについて、疑問を感じていました。「乳児期に股関節脱臼をしたせいで硬いのだろう」と親に言われ、「そうなのか」と納得する反面、そのような関節の硬さとは別なものがあるのではないかという考えもあります。私が自分で妙だなと思うのは、例えば、何か危険なことがおきた場合、咄嗟に身をかわすことができず、身動きが取れずに固まってしまうような柔軟性のなさや、スポーツをするときに無駄な力を入れてしまうことなどです。(もとから「とろい(鈍い)」と言われればそれまでですが、そのことはここでは触れずに進めたいと思います)そして、「言いたいことが様々な理由で言えない不自由さ」と、この『硬さ』がどこかでつながっているような感があり、他の著作『「からだ」と「ことば」のレッスン』、『ことばが劈かれるとき』を読みました。これらを読んでやはり「からだが硬いことと気持ちのあり方はどうも関連があるらしい」という確信が強まり、「ほぐれたからだで感じとったり、自由に何かを表現してみたい」と思いました。
そこで早速、「竹内敏晴―からだとことばのレッスン」に参加してみました。
レッスンは新宿の演劇のスタジオで行なわれ、演劇の表現を学んでいる方や私のようにからだをほぐすことを目的に参加している方などさまざまです。内容は童謡を題材にした発声練習から始まり、2人組みになってからだ揺らし、話しかけのレッスン、イメージの多様性に気づくレッスンと続きました。
その中で特に「からだ揺らし」のなかから感じたことを書きます。からだの力を抜いた状態でペアになった人に揺すってもらうのですが、力を入れていないつもりでもペアの人の動きに合わせるように動いてしまい、意識しなくても他人の意に応じようとする構えができていることを知らされました。そして次の段階で腕を鞭のように揺らされ、その揺れが体の中に響いて伝わるのを体験して、からだがすっきりしました。1日の体験だけでいままでの癖や習慣がなくなるとは思えません。しかし翌日、親戚の甥と、いつもは少ししんどい『ごっこ遊び』を苦痛なく楽しめたうえに疲れなかったことや、それとは別の抵抗のある場面でもはっきりと声が出たことに驚きました。もっと体験を深めたら次の機会にもう少し詳しくご紹介したいと思います。
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