■わたらせ教育フォーラムの歩み
           長友 誠(元教師・桐生市)

●初期の教育懇談会(現在の「トーク&トーク」)で話し合われたこと

 わたらせ教育フォーラム(旧称桐生地区教育懇談会)が発足した当時のことを「共育つうしん」NO.65の巻頭言に書きました。それに続く形で、項目をいくつか挙げて会の活動について書いてみます。

 会が発足した年(1987年)の10月、第1回教育懇談会を開き、そこで話し合われた教育問題を4つの柱にまとめ、翌年2月の第2回懇談会でその柱に沿った分科会を作り話し合いました。同年6月には、その4つの柱の一つ「学力問題」に焦点を当て、分科会を3つ作って話し合いました。

 その3回の懇談会で参加者から出された学校への要望・学校生活に関する疑問点を下に抜き書きしてみます。現在の問題とかなり重なっているのではないでしょうか。

(1) 学力問題
・落ちこぼれをなくして欲しい。
・ついて行けない子をなぜ放置するのか。
・勉強好きの子にして欲しい。
・学力の差は人間性の優劣ではない。
・基礎学力を身につけさせて欲しい。
・教える内容の精選。
・真の学力を評価する具体策。
・成績中心主義をなくすこと。
・小学校の学科が過重。(特に算数)
・自分を組み立てるために基礎学力が必要。
・勉強さえしていればよいという風潮あり。

(2) 部活
・運動部が時間的にも内容的にも過重。
・先輩に絶対服従という人間関係が問題。
・全員加入、加入者移動禁止は問題。
・自発性を育てる機能を発揮していない。
・生徒の自由時間を奪う生徒管理がある。

(3) 学校の問題
・校則が自主性・自治能力を抑圧。
・生徒は集団の一員という意識が薄い。
・教師はなぜこんなに多忙なのか。
・就職者に目が行かない。
・制服は必要だろうか。
・学校からの配布物が保護者に渡らない。
・社会の真実と心の痛みが分かる子に。
・個性的な子に育てる教育を。
・生徒は学校行事への参加を好まない。
・校則へのこだわりが過剰。
・高校入試の失敗が担任の評価に繋がる。

(4) PTA
・先生の接待を必要以上にする。
・子どもの問題を取り上げない。
・率直な意見を出し合うことをしない。
・昼間の活動ばかりでは参加できない。
・一般会員の声がなかなか届かない。
・先生全員がどこかの部に入るべきだ。
・前例を破って一歩踏み出すことが必要。
・教師のPTA離れ、一般会員の無関心。
・PTAが教師の領域の活動をしている。
・奉仕活動は体裁のいい経済活動。

 これらの懇談会に出席した人は色々な意見を聞き、認識を深めたことと思います。役員はこれらの声を生かすために、多くの人に関心がある事項を中心にして、更に話し合いを続けたり、大小の講演会を開いたりしました。学校や行政に働きかけようという話も役員会で出たのですが、我々はまだ力不足だということでそういう行動をとりませんでした。未だに学校・行政へのアッピールはなされていません。

 3回の懇談会の出席者は延べ156人で、そのうち約3分の1(約55名)が教職員でした。これは、わたらせ教育フォーラムは、教職員組合の呼びかけでできた団体なので、当初、組合が組織的に応援をしていたことが大きな原因でした。反面、半ば義務的に来ていた人(先生)もいたようで、一般会員からそのような指摘もありました。

●教育懇談会(現在のトーク&トーク)の変遷

 第3回までの懇談会で学校に対する注文が多く出されましたので、第4回懇談会は、小中高から一人づつ先生を呼んで現状を話してもらいました。ここまでの懇談会では総じて学力問題の発言が多かったので、「今からできる学力づくり」というテーマで岸本裕史さんの講演会を開いた後、その講演会の内容を深めるため第5回懇談会を開きました。1989年5月に2ヶ所で別の日に実施しました。第6回懇談会は、^保育園・幼稚園・小学校1〜3年 _小学校3〜6年、`中学校、a高校の4つの分散会に分け、それぞれの年令帯に応じた話し合いをしました。

 テーマは一旦学力に絞られた後、学力を取り巻くものへと向かい、1989年に「学力・人格・子どものしあわせ」というテーマで第7回懇談会を開きました。発足時の方向性「懇談会を地域に広げて行く」ために、違った日に4ヵ所で実施しました。1990年は「家庭の役割・学校の役割」というテーマで2部屋に分散して話し合いました。これらの参加者は多くなく、桐生のあちこちで大勢集めることは難しいし、役員の負担も大きいので、その後桐生市内の各所で懇談会を実施することはしませんでした。

 上述の第4回の懇談会は、実質的には学校の現状報告会で、3人を講師としたミニ講演会と言っても良いでしょう。1991年からそういう形のもの、つまり、複数の人がまとまったことを喋るミニ講演会・パネル討論会をどんどんとり入れました。

・ミニ講演会  1991年 2回実施 
  1回目 4人の講師がそれぞれ別のテーマで話をした。
  2回目 テーマ「外国人の見た日本の教育」(講師3人…日本語で)
・パネル討論会 1992年〜1995年 4回実施
  1回目 テーマ「学校5日制と子どもの教育」パネラーは5人。
  2回目 テーマ「現代の教育を考える(1)」パネラーは5人。
  3回目 テーマ「現代の教育を考える(2)」パネラーは3人。     
  4回目 テーマ「中学生活と部活」 パネラーは3人
・懇談会    1992年〜1997年 7回実施
  1992年10月 「週5日制と子どもの教育」
         (小中高それぞれの実験校から先生が出席)
  1996年2月 「これからの高校教育を考える」(高教組と共催)
  1996年2月・8月 「地域からいじめ問題を考える」2月は問題提起者 3人
  1996年〜1997年 「先生とのおしゃべり会」3回実施
・トーク&トーク(気軽に開くため「懇談会」の名称を変更)
         1997年〜2001年 7回実施
  1997年7月  「保坂さんの講演を聞いて」
  1997年9月  「今、私たちにできること
            …子どもたちのひずみはどこから?」
  1998年1月  「PTA必要か?!-変わる社会の中で」
  1999年1月  「子ども心をなくさないために」
  1999年9月  「携帯・ピアスと高校生文化-若者の価値観を語り合う」
        (市内3つの高校から、生徒会や文化祭などの役員が出席)
  1999年11月 「学校教育で失われているもの」
  2000年3月 「輝いて生きる」……著者を囲む会
  2000年5月 「私の社会活動……その意味と悩みを考える」
  2000年9月 「子育て・教育・なんでも言いたい放題」
  2001年8月・11月 「教育とは何か」
    (教育問題も多様化し教育の全体を見直すため同じテーマで2回実施)

 懇談会(トーク&トーク)は、わたらせ教育フォーラムの活動の主流でありましたが、他の色々な活動が生まれてきたためか、この2〜3年、参加者がなかなか10人以上集まらず、顔ぶれも固定化してきたように思います。参加者が少なくても、出た発言を今後どう生かし解決していくかという、具体的なフォローが足りなかった気がします。

●有料講演会の実施

 前述したように、1987年、1988年の懇談会の中で学力に焦点が絞られてきたので、大勢参加できるよう、1989年2月に「今からできる学力づくり」というテーマで講演会を初めて実施しました。講師は、本を出したり教育雑誌に寄稿したりして知名度のある現職の小学校教師岸本裕史さん(神戸市在住)でした。

 大勢の人でチラシを大量に配布し、前売券を売りました。文化センター市民ホールは500名定員なのに、意外にも券が690枚も売れ、慌てて前売券販売を中止しました。来場者があふれた時の対策にも頭を悩ませました。

 しかし実際の来場者は400名弱で、さばいた券の6割しか人が来なかったことも意外でした。前売り券をさばいた数は、世話人16名で230枚、学校の先生には教職員組合(県教組、高教組)を通じて170枚、保育園の先生には組織(公立保育園協議会、私立保育園連盟)を通じて150枚、学習塾協同組合・生協で60枚でした。

 入場料が500円と安いことと、お義理で買った人が多かったので、来場率が低かったのでしょう。この講演会で会の財政がかなり潤いました。講演会以後「家庭塾」を実践する人が出てきました。

 この講演会の盛況に勇気づけられ、1990年2月には1989年に持った懇談会のテーマ「学力・人格・子どものしあわせ」をそのまま講演会のタイトルとして、館林の小学校勤務の松本美津枝さんに講演をしてもらいました。参加者は235名でした。

 1991年6月には(当時)日本福祉大学教授の増山均さんに「新時代の子育てトーク」というテーマで話をしてもらいました。産湯が汚染される時代、助産師が外国人ワーカーになる時代が来る、という言葉は衝撃的でした。参加者は142名でした。

 1992年7月「学力を高めるにはどうしたらいいか」というタイトルで坂本光男さんに講演してもらいました。参加者は116名でした。

 4年連続して講演会を持ったのですが、来場者は年々減少し、講演会は今後成立しないのではないかという危惧を持ちました。公共団体で講演会をあちらこちらで持つようになってきたのが大きな原因なのかも知れません。講演会を一つ立ち上げるにはかなり労力を使います。上述した前売り券の配付、3000枚くらいのチラシの配付、講師との事前折衝、講師の当日の送迎・接待などです。郵送費節約のため、分担してチラシを各戸に配って歩いたこともあります。隣接市町村も視野に入れて、保育園、幼稚園、学校にチラシを配って回ったこともあります。それでも人が集らないのでは「労多くして功少なし」ということですので、翌年からは大きな講演会の開催を取りやめました。

 一方、日本の教育の危機的状況は形を変えて継続的に現われてきます。90年代に入って登校拒否(不登校)の問題が大きく取り上げられてきました。わたらせ教育フォーラムでも、浅野さんを中心に「不登校について考える会」を7回ほど持ち、「桐生フリースペース」設立にこぎつけました。

 また、久しぶりに講演会を持ち、不登校について学ぼうということになり、チャイルドラインを立ち上げようとしていた保坂展人さんを招き、1997年5月、「子どもたちは今……」というタイトルで講演してもらいました。保坂さんが衆議院議員になってすぐのことだったと思います。参加者は百数十名でした。

 その後しばらく規模の大きい講演会を開かなかったので、そろそろ、ある程度のものを開こうということになり、2002年12月に実施することができました。前売り券、チラシ、ポスターの準備、プレイガイドの依頼など、従来の有料講演会並の準備をしましたが、前売り券販売を大勢の人に依頼する形をとらず、50人前後の参加者があれば十分だという気持ちで望みました。最近、日本語に焦点が向けられていますので、桐生出身のコトバ研究家、渡辺知明さんを招きました。タイトルは「コトバの力とコトバの教育」でした。70名ほどの参加がありました。

 入場無料の講演会は、講師謝礼、会場費用、宣伝チラシなどの出費がないので、赤字にならないように人を集めるということしないため、どうしても規模が小さくなります。

 1999年、妹尾信孝さんの「こころ豊かに生きる……社会における差別・偏見を教育の視点から考える」
 2002年9月、渡辺修一さんの「私の教育理念」
はそういう講演会でした。今後、講演会の意義や持ち方を再検討し、有益なものを持ち上げていく必要があると思います。

●ミニ講演会の実施

 教育に直接関係のないことでも、互いに理解し合うため、会員が自分のことについて話をする会を開こうということになりました。まず役員が一人ずつ何か話をすることにし、行事名を「ミニ講演会」と名づけました。役員の次には、身近な人にも何か話をしてもらい、輪を広げていこうと、1995年にスタートし1997年に終わりになりました。

 2年間弱で9回開いたことになります。その間、懇談会を6回、映画会を2回、映画試写会を1回、学校訪問を2回、体験を聞く会、学習会をそれぞれ1回ずつ持っていますから、ほぼ毎月何か行事を持っていたことになります。

 ミニ講演会は、身近な人の普段表していない側面を発見し、お互いに理解を深めていくことが狙いでした。実施した順番にタイトル、実施年月、私の感想を並べてみます。

○「少女時代の戦争体験」1995年5月
    (戦争の記憶が今までの生き方に影響しているのだなあ)
○「新興宗教と教育」1995年9月
    (新興宗教に走った人が受けた教育は何であったのか…
     松本サリン事件は1994年7月、地下鉄サリン事件は1995年3月)
○「私の出会った音楽、時代」1995年11月
    (こんなにも音楽に惚れこんでいたのだ。…実際に音楽を聞く)
○「英語って何だろう?」1996年1月
○「中高校生に語る教科書に現れない歴史」1996年5月
    (歴史への思い入れがすごい)
○「私の女性学」1996年7月
    (「女性学」という言葉があるのだ。
      性差別を喜んでいる女性が多いのでは)
○「英語教育…私の教室」1996年9月
    (現場の先生が、一般人に自分の授業を紹介するのは
      珍しいのではないか。大事なことなのだけど)
○「独りで行動を起こすとき」1996年11月
    (本当に自分一人で行動している方。…渋川からはるばる来桐)
○「自然保護への考察…自然学と教育」1997年3月
    (自然保護への思い入れがすごい…スライド上映。
      館林からはるばる来桐)

 更に続けられれば良かったのですが、身近に大勢人がいても、気軽に話をしてくれる人がなかなか見つからず、2年で頓挫してしまいました。講師には謝礼金を支払わなかったのですが、会員以外の人にもそれでいいのかという疑問から、講師をなかなか決められなかったということもあります。

 一方、講師になることは、ふだん人前で喋らないことを喋るわけですから、自分で自分のことを振りかえりまとめていくことになるので、自分のためになります。私が講師になった「英語ってなんだろう?」を例にあげますと、自分の英語の力があまりつかなかったのに、なにやかにやと英語に関することに関わって来たという、自分の軌跡をかみしめることができました。また、自分で恥ずかしいと思うことでも、参考にしてもらったり、何かしらのエネルギーを受けとって貰ったりして嬉しく思いました。

 「わたらせ教育フォーラム」の会員は100名近くいるのに、役員以外で講師になってくれた会員がいなかったことは、役員の思いが通じなかったからであろうし、依頼する努力も足りなかったのだと思います。会員に限らず、講師になってくれそうな人を周りに大勢抱えることができれば、以前よく話に出た「わたらせ教育フォーラムの役目は地域のネットワーク作りだ」ということにそのまま結びつくのではないでしょうか。

● 調査活動、いきいきなんでもスクール

[1] 部活動アンケート(中学生対象)

 わたらせ教育フォーラムの発足当初から、中学の部活動についていろいろ問題点が出されていました。「部活動の全員加入制」「一旦加入すると他の部へ移動できない」「土日も夏休みも休まず活動をして自由時間がない」「教師主導が強過ぎる」「先輩後輩の関係が強過ぎる」などです。

 そこで、部活の実態をしらべ、生徒の考えを聞くことが大切なので、生徒からアンケートを取ることになりました。群馬学習塾協同組合の全面的な協力を得、1993年1〜2月に約300人の生徒から集めることができました。まとめた結果のうち、いくつか特徴的なことを書いてみます。

・部活加入率             98%
・登校日は毎日部活動をする      89%
・登校日の1日の活動時間 3時間以上  29%
・休日でもいつも部活動がある     25%
・部活と勉強の関係
 (複数選択者がいるので実数で表示)

(1)十分に両立していて授業がよく分かる 15名
(2)あまり勉強の妨げにならない     81名
(3)勉強と両立できないで困っている   58名
(4)家庭学習の時間が取れない      57名
(5)練習がきついので授業中眠くなる   33名

 この結果を踏まえ、前述したように1995年3月に、「中学生活と部活」というパネル討論会を開きました。
 わたらせ教育フォーラムでは調査活動はこれ一つしかやっていませんので、生徒や学校の状況で分からないことが多々あります。

 例えば「総合的学習の時間」で、果たして小学生は嬉々として学習しているのだろうか。先生たちはその時間をうまくこなしているのだろうか。絶対評価の通知表を生徒はどう捉えているのだろうか。先生は、評価で何に苦労をしているのかなどなど。当事者にインタビューをするだけでも、随分いろいろなことが分かってくるだろうし、解決すべきことが見えてくるのではないかと思います。

[2] いきいきなんでもスクール

 1992年9月から、4週1休の週5日制が始まりました。土曜日の子どものケアが必要だという声が続いていました。そこで、学校でやれないようなことを我々が子どもたちに与えられるのではないかと考え、1993年8月から1995年4月の間8回、日曜か土曜に下記の通り「いきいきなんでもスクール」を開きました。

・みんなでローマ字を学ぼう 1993年8月    (20名)
・筆で字を書いてみよう1  1993年10月   (14名)
・子どもまつり       1994年2月   (33名)
・科学で遊ぼう       1994年4月   (30名)
・英語で遊ぼう       1994年6月   (32名)
・くらべて遊ぼう      1994年10月   (13名)
・筆で字を書いてみよう2  1994年12月   (6名)
・ソーラーバルーン作り   1995年4月   (23名)

 我々の方で出し物が無くなってしまったせいでしょうか、「ソーラーバルーン作り」までで立ち消えになってしまいました。

 昨年度から完全週5日制になりました。そして、土曜日における生徒の受け皿についてはほとんど耳にしなくなりました。各家庭で適切な対応ができているのならいいのですが。

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