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●「ゆとり教育」考
(師村 達、WEF会員、桐生市、「共育つうしん」66号、2002年10月掲載) |
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新学習指導要領(小中学校)による新学期がスタートして1か月が経ちました。土曜日が毎週お休みになって、ゆとりができるかなと思った子どもたちは、きっとがっかりしています。土曜休日で減った時間数の一部を平日に上乗せされ、中学生は休みのはずの土曜日が部活でつぶれ……。高校生の中には、保護者が用意した土曜補習に通っている生徒もいます。受験がある以上、やはり何も変わらないということでしょうか。 92年に隔週5日制が実施されたにもかかわらず、教科内容の軽減が行われなかったため、今回の指導要領改訂では学習内容の約3割が削減されました。ここから、学力低下を懸念する声が噴出し、ゆとりではなく学力を、という大合唱が始まったのです。 しかし、その声が言う学力とは、受験のための学力のことであり、突き詰めて言えば受験で不利にならないようにしてほしいというものではないでしょうか。だから、私立学校の一部では週5日制を導入しませんでしたし、中高一貫教育に注目が集まっているのです。そして、その声がますます子どもたちからゆとりを奪っています。 学歴ではなく、どんな力、何の資格を持っているかが要求される時代になっています。大学を卒業したからといって豊かな暮らし、幸せな人生が待っているわけではないのです。「自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力」が必要であり、「学び方やものの考え方を身に付け、問題の解決や探究活動に主体的、創造的に取り組む態度を育て、自己の生き方を考えることができる」ようになることがいかに重要かを考えなくてはいけません。(いずれも新学習指導要領より引用) では、文部科学省の「ゆとり教育」に賛成かというと、私は次の2つの理由から反対です。第1に、削減した学習内容がきわめて問題です。私の得意な算数・数学でお話ししましょう。詳しい理由を書くのが目的ではありませんので結論だけになりますが、今回の改訂により小学生は計算法則をしっかり身につけられなくなります。これはきわめて重大です。また、台形の面積、三角形の重心などが削減され、ますます楽しくない算数・数学になります。この削減は、一見して難しい問題を削っただけなのです。これでは、算数・数学嫌い、勉強嫌いがさらに増えるのではないでしょうか。 第2に、文部科学省の「ゆとり教育」は、子どもたちのために実施されたと思えないからです。「新幹線授業」と呼ばれた70年代の知識詰め込み教育により、早くも70年代の終わりには「ゆとりの学習指導要領」が登場します。しかし、文部省は「ゆとりの時間」を作るために、数学や英語の時間を週4時間から3時間(学校行事などがあり実質2.6時間ぐらい)に減らしてしまいました。その失敗をまた繰り返そうとしているのです。 何が子どもにとって真のゆとりかという認識が決定的に欠けています。たとえ難しいことでもわかるまでじっくりと考え、発見し、感じることができるゆとりが教育の中に求められているのではないでしょうか。休日を増やすことが「ゆとり教育」ではないのです。 学びの中でのゆとりと同時に、生きる上での精神的なゆとりも必要です。 国連「子どもの権利委員会」は、日本政府に次のような勧告を行っています。(1998年6月)「極度に(highly)競争的な教育制度によるストレスのため、子どもが発達上の障害(developmental disorder)にさらされていること、および、教育制度が極度に競争的である結果、余暇、スポーツ活動および休息が欠如していることを懸念する。本委員会は、さらに、不登校の数が膨大(Significant)であることを懸念する」(訳、世取山洋介新潟大学助教授) いま一番大事なことは、知識詰め込み教育を押し進めるのではなく、「読み、書き、算数」を楽しく学ばせ、考える力を育て、あふれる情報、知識を目的に沿って体系化し価値判断できる力を育てることでしょう。知識は頭の中ではなくハードディスクに入れればいいのです。土曜を、発見と感動の時間にするのは家庭と地域の役割ではないでしょうか。 「ゆとり教育」のゆとりとは、学びの中でのゆとりと生きる上での精神的なゆとりが統一されたものです。その実現には、大学の改革、受験制度の改変が必須であり、教育観の変更が国民的に必要になるでしょう。それを乗り越えない限り、子どもたちに本当の「ゆとり教育」は実現できないのかもしれません。 (この文章は、WEFメールマガジンで5月に配信されたものです) |
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