●読書案内 「学校がなんぼのもんやねん」(畑中敏之著、清風堂書店、'96年発行)
(師村 達、学習塾教師、「共育つうしん」39号、1998年4月掲載)
学校が絶対的な存在でなくなろうとしている。かつては子どもが学校に行ってさえすれば親は安心したものだし、学校に行くことは当たり前のことだったが、今やそれは色々な選択肢のひとつと考えた方がよい。
「たかが学校」だけれども「されど学校」という意味を込めて、筆者は「なんぼのもんやねん」と使い慣れた大阪弁でタイトルをつけたという。関西出身の私にはその微妙なニュアンスがよく分かる。いったい学校はどうなったんだ、という失望と、それでも最後のところで学校と教師に期待しているそんな複雑な気持ちがよく分かる。
筆者は、社会科教諭として大阪府立高校に15年間勤務し、現在は立命館大学で教職課程教育を担当されている。(専攻は日本近世史)本書の大部分は、筆者が高校の教員として経験したことをもとにして書かれている。学校が、子どもたちの人権を無視してどのようにして管理しているかという管理主義の具体的事例が豊富に述べられている。同じような学校に勤務したことのある私は少しも驚かないが、学校事情に詳しくない方ならきっと驚かれるに違いない。管理は果てしがないということを実感していただけるのではないだろうか。「どう考えても非常識な管理主義でも、『教育』の大義名分によって、学校の常識と化す」様子が具体的に分かる。
また、筆者は管理主義教育を側面から支えている集団主義教育についても厳しい批判を加えている。集団主義教育について特別な知見を持たない私にはその批判が的を得たものなのか即断しかねるが、多くの点で共感できた。ただ、「集団を教えるのではない、学ぶのは個人である。1対1のパイプを、私(教師)がどれぐらいつなげるかどうかの実現可能性の問題である」という筆者の考えには、教師対生徒の視点はあっても集団の中で育ちあう生徒対生徒という視点が欠落しているのではと思う。自己の内部と同時に集団の内部に矛盾があるからこそ成長がある。集団主義に問題があるのではなく、集団の捉え方に重要なポイントがあるのではないだろうか。
とにかく、現代の学校教育に関心のある方は一読をお勧めする。とりわけ学校の先生には自らの感性を白紙に戻した状態で読んでいただきたい。恐らく耳に痛いことばかりだと思うが、それだけ価値のある本だということだ。
独立したページですので、元に戻るにはこのページを閉じてください。
このページから入られた方は、
トップ(Home)
または
目次のページ
へどうぞ。