●日本の教育
(Michele R.Steele、英会話講師、桐生市、「共育つうしん」57号、2001年4月掲載)

 日本で英語を教えることは満ち足りた経験です。やる気があって、まじめな日本の学生と学ぶことはとてもすばらしいことです。日本の教育はいろいろな方法があるという点でとてもよいと思います。生徒は規律や勤勉さを身に付けさせられます。数学と科学の教育レベルはとても高いように思われます。

 私がアメリカで学生だったとき、その学年の教育課程に多くの日本人がいました。彼らはアメリカの学生が受けるのと同じ選抜試験を受ける必要がありました。日本人の学生はその試験の一部である英語においてはそれほど好成績ではありませんでしたが、数学の分野ではアメリカの学生よりもずっと高い成績でした。そのため、彼らは外国の修士課程に入ることができたのでした。

 私は2年間、日本の中学校にALT(Assistant Language Teacher 外国語指導助手)として勤めました。生徒が自分の教室や学校のいろいろな個所を自分たちで清掃する習慣には感銘を受けました。生徒が自分たちで学校の清掃をすると聞いたとき、初めはどうも酷ではないかと思いました。アメリカでは、学校の掃除のために管理人が雇われています。日本では生徒は忙しすぎて掃除をする時間が取れないだろうと思っていたのです。しかし、生徒と一緒に掃除をする体験をして、生徒が自分たちで掃除するということがとてもよいことだということがわかりました。生徒は自分たちの環境に注意をはらうことや、協力することを学びます。その他、音楽の授業や美術の授業などのように他の活動においても生徒が熱心に取り組む姿勢が印象的でした。日本では、生徒たちは放課後とても有意義な部活動に参加しています。アメリカで、子ども達には放課後の活動がありません。

 日本の教育のよい面にくわえて、不快に感じる面もあります。組織がジェンダーの問題に配慮して変わりつつあること、たとえばクラスの名簿順が最初が男子で次に女子だったのが今は50音順に変わっているようなことは、喜ばしいことであると見受けました。しかしながら、それでもまだ私は差別的な感じを受ける場面を目の当たりにしました。たとえば卒業式ですべての男子が卒業証書を受け取ってはじめて、女子は卒業証書を受け取ることができるのです。日本人の先生と一緒に教室で教えたとき、授業で彼が男子には答えさせるのに女子にはめったにその機会を与えないことに私は気が付きました。これは揺るがしがたい、結果をもたらしました。

 1年生のときには先生が問題を出すと男子も女子もすべての生徒が質問に答えるために熱心に手を上げました。しかし、先生は男子生徒だけ指名して答えさせました。3年生になるまでには女子は手を上げるのを辞めてしまいました。彼女達はあきらめてしまったのです。このことは私にとっては悲しいことであると同時に彼女達が自分のことを取るに足らないと感じてしまわないかと心配になりました。

 日本で性差別のない教育制度を促進する努力がなされていることは知っています。私はそれが実践されることを切に望みます。(訳 内山かず)

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