●コラム 「教育 Now」 ―生徒と人権・雑感―
(長友 誠、WEF会員、「共育つうしん」41号、1998年8月掲載)

 ある主婦が「子どもの中学校へ行ったら、職員室に生徒が何人か正座させられていた。それを見て頭がカッカした」、また「部活で毎日帰って来るのが遅くて、うちで情操教育のようなことをしてやれる時間がない」とぼやいていた。

 先日、高校に勤めている友人が「3年生で一日に英語が3時間もあるクラスがある。こりゃ生徒が大変だよ」と言っていた。これらのことは実際の状況下では、やむを得ないことだったかもしれない。しかし学校で何か事を運ぶ場合、もうちょっと生徒側に視点を移し、人権という観点を広げることができるのではないかと思う。

 高校のいわゆる進学校では大学などの受験期になると、合格者とその学校名を書く札を用意し、合格発表があるとそれを次々に廊下に掲示していく。それも難しい大学を先頭に掲示し、専門学校などは終わりの方に掲示するのが普通だと思う。私が10年ほど前に勤めていた高校で、担任の生徒が掲示されていた自分の名札を勝手に外してしまった。下の方にぶら下がっていたので取り易かったのだろう。彼は職業訓練所に決まっていた。進路指導の先生に呼ばれていろいろ言われていたようだった。「頼みもしないのに、こんなところに受かったなんて大っぴらにして貰いたくねえよ」というのが彼の言い分だった。
 
 それから1,2年して、不合格者が分かるとか、プライバシーの問題があるとかで、どの新聞も高校、大学合格者の名前を一斉に出さなくなった。高校によって取り組みは違ったと思うが、私の知っている限りでは名札掲示は相変わらず続いていた。今パートで行っている高校では生徒名は無く、大学などの名前だけがぶら下がっていた。いつ生徒名を書かない様にしたかは聞き損ってしまったが……。 生徒のプライバシーに対する配慮などは学校は新聞社に先立って配慮すべきなのに大抵の高校は後追いをした(或いは、後追いすらしていない)のではないだろうか。PTA、親、また生徒自身もこういう事に声を上げないのは何とも情けない。

 大抵の学校で行われることなのだが、先日3時間目の授業で教室に入ったら、ほとんどの生徒が弁当を食べていた。「どうしたんだ」と聞くと、「昼休みに全員が総体のダンスの練習をやる」ということだった。つまり昼休みに弁当を食べる時間が無いわけなのだ。これは前から思っていたことなのだが、体育行事の練習などを昼休みに当ててはいけないと思う。45分間の昼休みは弁当を食べて食後の休憩をする時間なのだから。おまけに10分間の休憩時間に昼飯を大急ぎで食べる。

 学校の先生は授業以外に校務を分掌する。生徒指導部という組織が大抵の学校にあるが、生徒が校則に違反しない様、また違反した生徒の処置をどうするかといった方向に向かいがちになり、上に挙げたようなことには視点が向かない。保健部という組織があるが、「早飯プラス昼休み体育」という事に保健部がクレームをつけたという話は聞いたことがない。先生一人一人の意識が大事なのだから、組織をいじくっても意味がないかも知れないが、「生徒人権部」なんていうのを作って機能させると、そういう観点で生徒を見、教育ができ、面白いのではないいかとつらつら考えてみた。

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