●読書案内 「大臣」(菅 直人著、岩波新書)
(清水一郎、WEF会員、「共育つうしん」43号、1998年12月掲載)

 1993年に発足した細川連立内閣の最大で唯一の功績は、この国の政治を動かす仕組みは官僚にがっちりと握られていて、たとえ内閣を構成する政党が交代しても、行政のあり方は変えられないことを明るみに出したことだと、私は考えています。
 
 菅直人氏は、現在のこの行政権の実態を「大臣」の中で、官僚内閣制と名付けています。議院内閣制をもじったものですが、それは単に言葉のあやではなく、明治からこのかた続いている官僚国家日本の政治制度をうまく表現していると思います。菅氏は、官僚内閣制の下では特に政治家としての資質がなくても大臣は務まることを明らかにしています。日本国憲法が施行されて50年間、大臣は官僚支配をカモフラージュする飾りとして機能してきたのでした。菅氏は、自社さ連立橋本内閣で厚生大臣を経験しましたが、全大臣が集まる閣議は署名をするだけの場であって、国の行政について議論をする場ではないことを紹介しています。閣議には、前日開かれる事務次官会議で承認された案件だけが議案としてかけられる慣例になっているそうです。事務次官会議は全員一致で運営されるため、各省に拒否権があるのと同じ仕組みになっているようです。しかもこの事務次官会議は、設置の根拠となる法律はなく、慣習として開かれているに過ぎないのです。
 
 日本国憲法は、国民主権を明らかにしています。そして国民の直接公選による議員で構成される、衆参両院から成る国会が、国権の最高機関として行政権の首長である内閣総理大臣を指名します。内閣を構成する国務大臣の過半数は、国会議員の中から任命されなければなりません。こうして成立した内閣は国会に対して連帯して責任を負い、衆議院は不信任決議によって内閣を更迭することができます。これが中学3年生の社会科の教科書に書かれた、議院内閣制の説明です。
 
 菅氏は国会内閣制という概念による制度改革で、官僚による行政・政治支配を脱し、国民主権を実のあるものにすべきだと提唱します。つまり国民主権とは、国民自身が国民自らを統治することで、大臣は役所の代表ではなく、国民の代表者として役所を監督すべきである、と。また内閣は、国民の意を体して役所をコントロールすべきであると。具体的にはイギリスの議院内閣制が参考になると、菅氏は指摘します。すなわちイギリスでは、大臣のポストそのものは20程度で日本とほとんど変わらないが、副大臣ないし政務次官が100人近くもいて、与党の議員の半数近くが政府の役職に就いているそうです。
 
 日本でも、大臣が自分で選んだスタッフを10人ほど引き連れて省庁にチームとして入れば、かなりのことができるのではないかと言っています。同時に菅氏は、国会の委員会審議での答弁に省庁の局長や課長を政府委員として答弁させている制度を止め、大臣や副大臣が答弁することにすべきだと言います。

 菅厚生大臣の仕事といえば、薬害エイズ事件の資料発見で発揮したリーダーシップが印象的です。「大臣」でも第3章でその経緯について触れていますが、大臣の権限による情報公開という姿勢の菅大臣と、「大臣個人だけにならばいくらでもお見せする」と言う身内意識の事務次官たちとのせめぎ合いが興味深く描かれています。
 
 本書で一番印象深かったのは、第5章に収録された、座談会「行政権とは何か」(菅直人氏・松下圭一教授・五十嵐敬喜教授)の記録でした。ここでは市民による行政という観点から、官僚が担っている明治以来の国法秩序(行政の無謬性)が官僚法学の生み出したものだとして痛烈に批判され、日本国憲法を素直に解釈したら官僚内閣制でなく、国会内閣制がでてくるのだという松下教授の憲法理論に目を見開かされる思いがしました。

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