●聴力障害?をひとつの例に
(今井 進、WEF会員、「共育つうしん」54号、2000年10月掲載)

 子どもはさまざまな可能性をもっていて、急激に変化しやすい時でもある。この時期の子どもの問題について厳密すぎる言い方をすると、発達しながら内部や外部の困難に対処していく子どもの躍動感や生命力を損なうこともある。

 しかし、人が育っていく過程ではその人の持っている障害の影響が後に起こるチャンスや困難により、大きな才能にもなれば悪化することもある。家庭環境や社会(学校)環境は子どものもともとの長所を強化することもあれば、弱点をさらに広げることもある。

 とてもシリアスないじめが学校である場合は学校には行かないことも必要である。学校に行きたいけれど行けない子どもに「学校には行かなくてもいいよ」と言うこともない。しかし、これらの判断はいろいろな意味で難しい。

 話が広がりすぎる癖はここでやめといて、元に戻そう。

 子どもに起こり得る障害についての一つの例がある。「何かあるとすぐかんしゃくをおこす」「話す言葉が普通じゃない」「いつもピリピリしている」「こっちの言うことが伝わらない」「家出、浪費を繰り返す」などなど。

 これらのことは家族を含め周りには次のような影響を与えた。「この子は普通じゃない、頭がおかしい」「常識がない、子育てが悪い」「人を無視する奴!やっちゃえ!」などなど。

 子どもに関する障害について学ぶ機会がなく、世間では問題の対応を考えるよりもいかにして問題がおきないようにするかというための原因探しが多い。そのうち子どもには、学習の遅れ、学校不適応、低い自己評価、素行の乱れ、家族関係の障害、仲間からの排除や無視がおこりやすい。家族やその他の人は、落胆、否認、怒り、過保護、子ども扱い、過度の巻き込まれ、無関心がある。

 上にあげた例は「耳の聞こえが悪く、本人が聞こえの悪いことを当たり前としていた」例である。

 耳の聞こえが悪いと、言葉の憶えに支障をきたす。「人との協力」が「イトとのチョウリョク」に聞こえたり、「気まずい?」を「チまずい?」と聞いたりする。それで、「何かあるとすぐかんしゃくをおこす」=言語発達遅延のため陰性の感情を表現することが苦手なため、衝動的な怒りや低い葛藤耐性をまねく。「いつもピリピリしている」=言葉によるコミュニケーションが苦手なため非言語の反応を見る必要があったため人の態度に過敏などになっていた。

 「聴力障害」について少しばかり知っていたので、これらのことを伝えこれからのことを考えられた。障害のあることを認めることで、その原因が子育ての仕方にあったのではないこと。しかし、今までの対応だと障害を継続することになること。障害を悪化させる環境を避けることの必要性があること。本人の能力をくんでいき、伸ばすこと。家族、親族以外の協力が双方に必要なことなどなどいろいろ話し合われ、今までのような「叱咤激励−マイナス−励」ではなく「励まし」になっている。

 耳の障害だけでなく、ADHD、行為障害、PTSD、発達障害など多くの障害をもつ人がいる。子どもに関していえば親同様教師もこういったことを学べる環境にはない。互いを批判することが世の風潮をしめているこの昨今、どうしようかねえ。一足飛びに学ぶ環境を作っても上手くないと思うんだよねえ。大人同士が何でもないことを語り合うことを最初にやってかないと。文字でも声でも何でも使ってね!!

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