●なぜ春分の日は3月21日なのか
(浅野良雄、WEF会員、桐生市、「共育つうしん」58号、2001年6月掲載)

 現在、世界の多くの人々(もちろん日本人も)が使っている「グレゴリオ暦」は、16世紀末にローマ教皇グレゴリオ13世が制定したものです。その元になった「ユリウス暦」(ジュリアス・シーザーが制定)は1年を365日と1/4日としており、このずれを調整するために、4年に一度うるう日を設けています。それでも130年くらいたつと、1日のずれが生じてしまいます。

 ところで、西暦325年に、小アジアの二ケアという場所で、キリスト教会を統一するための宗教会議が開かれました。そこで、それまでまちまちだったイースター(復活祭)の日取り決定法を「春分の後に出現した最初の満月の後の日曜日」とし、春分を3月21日に決定しました。しかし、キリストが誕生したころの春分は3月25日でしたから、すでに4日のずれが生じていたのです。

 その後も、春分はしだいに移動してゆきました。それが顕著になってくると、教会の内外からこれを改善しようという機運が高まってきました。そのままにしておけば、いずれはとんでもない時期に復活祭を祝うことになってしまうからです。

 グレゴリオ13世は改暦のための委員会を招集しました。当時、春分は3月11日にまで早まっていたそうです。委員会の第一の課題は、復活祭の日が適切な範囲に収まるようにすることでした。そこで考えられたのが、現在使われている暦法です。つまり、「100で割り切れる年は平年とし、400で割り切れる年はうるう年とする」というただし書きをつけたのです。グレゴリオ暦を用いると、約3300年に1日のずれで済むことになります。

 ところで、春分を改めて定めることが、委員会のもう一つの課題でした。キリスト誕生のころの3月25日、二ケア会議のころの3月21日、そして委員会が開かれていたころの3月11日の中から決めるのです。結果的に、カトリック教会の意向を尊重して、3月21日となりました。

 当時のヨーロッパのキリスト教社会は、カトリック派(旧教)とプロテスタント派(新教)に分裂し、激しい対立抗争のさなかにありました。そういう意味から、この改暦も、旧教勢力の挽回策の一つとみなされていたようです。こうした時代背景の中で、春分は、教会統一の記念すべき二ケア会議の時代の日付に決定されたのです。

 その後の経過を簡単に紹介します。旧教国では、間もなく改暦が実施されましたが、教皇に反対する新教諸国や諸都市では長い間拒否されていました。それでも、18世紀初頭から中頃にかけて欧米のほとんどの国で改暦が行なわれましたが、ギリシャ正教の諸国では20世紀に入ってからでした。日本に導入されたのは1873年(明治6年)で、ヨーロッパ以外の独立国としてはもっとも早かったようです。

 ところで、日本では、春分の日が3月20日になることがあるのはなぜでしょうか。前にも書いたように、1年に1/4日ずつずれていって、その結果、4年で1日ずれるのですが、そのずれが午前0時をまたぐ年の春分の日が20日になるのです。欧米においては、天文学上の計算に関係なく21日に固定されているのですが、日本の「国民の祝日に関する法律」では、「祝日としての『春分の日』」は「『春分』の日に行なう」と規定されています。したがって、『春分』が1日ずれれば、祝日も1日ずれるのです。この不便さは、立法上の不備が原因だと言われています。
●この原稿の執筆に当たっては、岡田芳朗著『暦ものがたり』(角川書店)などを参考にしました
 
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