●経済合理性から見た教育問題
(蘆澤 和友、WEF会員「共育つうしん」56号、2001年2月掲載)

 私が高校生だった頃、テレビの向こう側から、「日本では本当に好きな事を見つけることがすごく難しい」。こんなことを話していた作家がいる。その作家は村上龍である。私にとって、とてもショックな言葉であった。本当に好きな事を見つけるとは、いったいどんなことなのだろうか?

 私は今回WEFの原稿を書くため、去年の8月と10月に本を二冊読んだ。それは、『教育問題の新しい視点』(村上龍編・NHK出版)というシリーズの「教育における経済合理性」と「少年犯罪と心理経済学」だ。本の腹帯に、〈「いい子」は「戦略」を持っていなければならない〉と書かれていたのを見て、この言葉に新鮮さと驚きを感じ買って読んでみた。今の教育現場で、「いい子」に「戦略」を教えてくれる先生が、どれほどいるのだろうか? 自殺するぐらい嫌な学校に、なぜ登校させなければならないのか? 子ども一個人の人格にとって、本当に好きなことを学校で探せるのだろうか? 何故、この時代に、増産増栄を目的とした高度成長時代の、より良い労働者を作り出すような画一的な教育をまだ推し進めようとするのだろうか?

 私は高校までの学生時代を振り返っても、「生き生きとした学校の先生」を思い出すことができない。それほど楽しくない教師を、何故続けているのだろうか? 自分たちが楽しくもないのに何を生徒に教えられるのか? 私は医療・教育・福祉の問題を考えるたびに、暗い気持ちにさせられてしまう。現実社会において、医療にも教育にもお金がかかり、リスクがかかっている。自分の選択した道にはどのようなリスクとベネフィットが生じるのだろうか。
 
 資本主義社会の中で生きるための感覚を持たせることは大切なことである。しかし、教えてもらった記憶がない。私が勉強嫌いなのは確かであるが、教育の中で、経済活動の中の自己選択といったことを、曖昧にしているように思えてならない。本の中で、村上龍がいっている経済合理性というものは、「子どものときに何か打ち込める事を見つけたり、学習や訓練によって知識や技術を身につけた人が、人生を有利にまた自由に生きられるという当たり前の経済合理性をどうやったら子どもに伝えられるか」ということらしい。どれほど自分らしいことができ、それによって社会から収入が得られるかを教えていくことのように私には思える。
 
 そして企業の幹部の意識もかなり変わってきている。もうすでに始まっているが、これからの民間企業の採用基準は明らかに変わる。幹部は終身雇用なんて少しも考えていないはずだ。今までが、会社から「選ばれる人間」であったなら、これからは、会社を「選ぶ人間」の採用が、強い会社を創っていくであろう。社会(企業)は変わってくる。教育も変わっていくのだろうか? 
 
 私は教育問題を考えるとき、それは社会全体の問題であると思っている。少なくとも地域社会の中で真剣に取り組む問題ではあると思う。教育問題を考えていくと、必ずといっていいくらい行政への批判に出会う。私は、何か自分たちの問題を棚上げして批判しているようにも感じられるときがあるのも正直な気持ちである。最後に、あの物理学者アインシュタインが残した言葉を紹介したい。「人類は自分を除く世界のすべてを変えている」。問われているのは私たち自身の意識ではないだろうか?

独立したページですので、元に戻るにはこのページを閉じてください。
このページから入られた方は、トップ(Home)または目次のページへどうぞ。