●子どもと大人の視点の違い
(メーリングリストより、「共育つうしん」57号、2001年4月掲載)

 インターネットを通じて行なっているWEF会員メーリングリストでの意見交換から、発信者の了解を得て掲載します。

今井 進:
 先日、知り合いの教員から次のような話を聞きました。「何人かの子ども達が教室で遊んでおり、その内のひとりが窓ガラスを割るという事故が起こった。ガラスの割れる大きな音、飛び散る破片、腕だか足にガラスが刺さって泣いている子ども。そんな中、ガラスが割れる前からオルガン?を引き続けている子どもが、隣で事故が起きているにもかかわらず、ずっと楽器を演奏していた」というのです。 
 ここで考えうる問題にはどんなことが挙げられるのでしょうか? 順不同に挙げてみたいと思います。

1)教室の安全管理という構造システム上の問題。
2)事故が起きたときの、その場にいるグループ(子ども集団)に課せられる問題。
3)事故が起きたときの、その場にいる個人(子ども)へ課せられる問題。

 他には何があるでしょうか?
 大人が数人いるその会合の中で教員が話してくれたとき大きな問題になったのは、楽器を弾き続けた子どもの態度だったと思います。話をした場には子どもがいなかったので、大人側の意見しか聞けなかったのが残念でした。

 その中のひとつの意見には、「このような事故が起きたときは、楽器を弾くのを止めて怪我した子どもの心配をするのが普通だろう」というものであり、「普通の事が出来ないこの子は、普通のことが出来るように育てないと……」とまとまったようでした。

 今、落ち着いて考えてみると、そうだねえ、という感じになります。ただ、その時に僕が考えたのは次のようなことでした。
 「大きな衝撃を伴う事故が目の前で起きた場合、怖さなどから体がこわばり、固まって身動きが出来ないことはあるよな」
 「ゲームやテレビ文化などによって、物が壊れたり、大きな音がしたり、怪我をして泣き騒いでいたりもすることに慣れていることもあり、危機的状況に関して著しく鈍感になっていることもある」
 「物が壊れたり、泣き騒ぐ人が身近にいるのが当たり前の世界(生活状況)にいて、以前、(同じような状況で、周りの人の)心配などしたときに、心配した自分が反対にひどい目にあったから、そのときと同じ状況では心配すまいと思う、という事例が、子どものトラウマ学にあったよな」

 などということを考えて、楽器を弾き続けたこの子は、もしかしたら、自己防衛の意味合いで示した態度ではないのか? 実際、トラウマ学の中にはこのような事例が当たり前のようにあり、普通に見られることですし。ということを、興奮しながらなかば一方的に話してしまったのです。

 今考えてみると、騒然とした教室の雰囲気を和やかにしようとしてそのような態度で振る舞ったのかもしれないとも思いますし。

 しかし、実際この場にいたら、自分はどのような言葉を楽器を弾き続けた子どもに掛けるだろうと考えると悩んでしまいます。
 「今、オルガンを引き続けたのは……だからかな?」
と聞いた後に、「怖かったなー、大丈夫かー?」
ってしゃべり「こういうときは誰か大人の人をすぐ呼ぶんだよ」って言うんだろうと思う。言えればいいんですけどね。
 子育てしたことがないのでわからないのですが、こういう事って珍しいのですか? こういった事を相談したり、誰かに話すこともあまりしないものなのですかね。

長友 誠:
 今井さんの伝え方への心遣いは、私なんかよく学ぶ必要があると思っています。

 今度の「共育つうしん」(56号)の桜井さんの投稿の中で、子どもさんを誉めたということにしても、私なら「なぜ心にも無いことを友達に言うのだ」と子どもを叱ってしまう恐れがあるなと思いました。

 私は自分の子どもの心にも生徒の心にも随分傷を付けて来たのではないかと思います。それだけ、子どもや、人へ何かを伝える時相手の気持ちを汲んで話そうとしておられる今井さんや桜井さんの態度に敬服します。

 一方、人の心に傷をつけないでしゃべることは不可能ではないかと思います。同じ言葉でも受け取る人によって違うでしょうし、完全に相手の気持ちを汲むことは不可能だからです。桜井さんのお子さんが、「嫌い」と心にもないことを言ったことと、「本当は好きなんだよ」と本心を言ったことは明暗の表裏関係にある、つまり「嫌い」と言ったために、そうっと「好きよ」と言った事が輝きを増してくる感じがします。傷つけ反省し、傷つけられ考えを深めるという繰り返しが人生なのかも知れません。今井さんの、ピアノを弾いていた子の場合も、暗の部分が表面に現れ、明の部分が隠れていたと取るべきでしょうか。

 今度の教育改革国民会議の答申の中で、特に曽野綾子が強調した部分ですが、「人間社会に希望を持ちつつ、社会や人間には良い面と悪い面が同居するという事実を踏まえて、それぞれが状況を判断し適切に行動するというバランス感覚を失っている」という表現があります。これは紙の表裏のように、悪い面だけを一方的に切り捨てる事はできない、という考えを含んでいるのだと思います。

 具体的な対応という事になると分からなくなってしまいますのでこの辺で。

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