●単数と複数
(メーリングリストより、長友 誠「共育つうしん」59号、2001年8月掲載)

 「共育つうしん」58号を発行する前に編集会議というもの(何年もやったことがなかったのでこんな言い方になりました)が開かれ、私も参加しました。大きなポイントは、英語で原稿を書いてくれたALT(外国語指導助手)の意向が正しく伝えられるかということでした。日本人が書いても誤解されることがあるのに、途中に日本語の訳が入るので一層その可能性が大きくなるわけです。

 それは、自分(ALT)が行っていた学校での、先生の生徒への接し方についての感想文なのです。訳文は「先生と」「先生は」となっているのですが、私は、その「先生」は一人の先生かそれとも二人以上の先生かということに疑問を持ちました。「特定の先生」が生徒に対して気になる対応をしていることと、「何人もの先生」がその同じ気になる対応をしているのとでは状況がかなり変わってきますから。

 このことから、英語国民に限らず欧米人は一人(or 一つ)と二人(or 二つ)以上でははっきり区別するが、日本人は曖昧にしているんだと言うことを改めて考えました。これは日本人のそして日本語の曖昧性の一領域としても考えられますが、一人(or 一つ)という概念は二人(or 二つ)以上の概念とは一緒にできない、つまり「個」と言うものをはっきり区別する欧米の個人主義と関係があるのではないかと考えたわけです。日本語では「鳥が飛んでいるよ」で済むのを、英語では"A bird is flying."か"Birds are flying."のどちらかにしなくちゃならないのは、我々にとっては面倒くさいことです。反対に、日本語の分かる欧米人が「鳥が飛んでいるよ」と人が言っているのを聞けば、1羽かそれ以上かと気になり、なんて曖昧な言い方なんだろうと思うのではないでしょうか。

 子どもを英語と日本語のバイリンガルに育てることを夫婦で決め、親も子どもも家庭では英語だけしか使わないことにしていた母親の話ですが、子どもを幼稚園から自転車に乗せて家に帰る途中、よそのうちに預けている兎に餌をやりに寄ろうと思って "……the rabbit."と、つい言ってしまったら、即座に、後ろに乗せた子どもが"No. The rabbits." と言ったそうです。日本語で「うさちゃんに餌をやりに行こうね」と言ったら、子どもに直されることもなかったでしょうにね。「単数、複数の区別が欧米の個人主義を支えている」という考えは乱暴でしょうか。

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