●グラスノチ
(長友 誠、WEF会員、「共育つうしん」38号、1998年2月掲載)

 中学生の自殺・殺人、重い気分になっていた所を今度は国会議員の自殺。これらの現象の根にあるものは何だ、解決法は何だ。いろいろな言葉が頭をよぎる。「清廉潔白」「肩を張って生きている」「役所の閉鎖性」「学校の閉鎖性」「グローバルな思考」「点数主義」「拝金思想」「情報公開」「知る権利」「命って何だ」「優しさって何だ」「もぐらたたき」……最近の現象についていろいろな人がいろいろな事を言っている。百家争鳴は結構なことだが、どれにも偏らず何も変わらないのでは困る。

 数日前ある法事の宴席で年配の人が大声で話しているのが聞こえた。「今は目先の事ばかり考えていてはだめだ。地球規模で考えて行かなければ日本は滅びてしまう」

 なるほど、いろいろな人がこういう事を真剣に考えるようになったのだなと思った。「環境破壊をなくせ!」でもいい。「点数主義を廃せ!」でもいい。何か一つのことを一人一人がはっきりと主張し、日本中相当数の人がその考えに共鳴して行けばそれに付随していろいろな事が変わって行くと思う。
例えば「環境破壊をなくせ!」と主張することは、車に乗る事を少なくすることに繋がり、スピードよりも大事なものがあることが分かってくるのではないか。今の学校も、より早くより多く知識を吸収する事に重点が置かれている。その弊害に考えが辿り着くのではないだろうか。また環境破壊をなくそうとすると人間と動植物との共存に思いが行く。そして人間だけではなく動植物の命のことも考えるようになる。当然冒頭に挙げた殺人などへの嫌悪感も人一倍強くなるだろう。また環境破壊は国境に関係なく流入するし流出するものなので、グローバルに物ごとを考えざるを得なくなる。そして点数だとか金だとかに考えの重点が行かなくなる。つまり「環境破壊をなくせ!」が「点数主義を廃せ!」に結局つながって行く。

 「環境破壊をなくすこと」を最重要課題に考えていることを例として挙げたが、私の最重要課題は何かと問われれば「情報公開」(10年ほど前にゴルバチョフが唱えた「グラスノチ」)だと答えたい。だだしこれは政治上のことだけではなく、自分の弱さや悩み(自分の心の情報)をいろいろな人に伝えた(公開した)方がいいということを含んでのことである。

 現在われわれを愕然とさせている冒頭に挙げた事は、その渦中にあった人たちに、そういう意味でのグラスノチがなかったせいだとも考えられる。学校の教職員は目の前の事象の解決だけで済まさないで、その背後にあるものが何だという話し合いもして、その対処の難しさをPTAなどに訴える事も上記のグラスノチに当たるだろう。PTA自体にしても、子どものことで問題を抱えている親と教師の集まりなのだから、そういう問題をどんどん出し合っていくことが大事だと思うが、実際にはどうだろうか。PTA、更には家庭のグラスノチも今必要になってきていると思う。

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