中学2年の子どもが、夏休みの宿題である社会科のレポートを書いていました。二十代の若い先生が出されたレポートの課題は「戦争と平和」。第二次世界大戦とそれ以降の戦争に関することなら何でもよいということなので、私の子どもは「学童疎開」をテーマに選びました。一緒に調べていると戦後生まれの私には知らないこと、忘れていたことがたくさんあり、親としてもいい機会を与えられたなと思いました。
1944年8月に始まった集団学童疎開は、当初、小学校3年生以上でしたが、やがて1年生にまで対象が広げられたそうです。1944年12月末の3年生から6年生までの集団疎開児童数は約35万人(45年春には45万人に達した)、縁故疎開児童数が32万人、そして残留、その他(家族疎開や死亡児童)の児童数が約35万人、ほぼ三分の一ずつとなっています。また、東京からの集団疎開先として、群馬は長野に次いで多かったようです。集団疎開をした子どもたちの文章を読むと、ひもじくてクレヨンを食べたこと、しらみや霜焼けに苦しんだこと、寂しくて逃げ出したこと、いじめやいやがらせを受けて辛い思いをしたことなど、子どもはいろいろな経験をしながら生きていたことがわかります。
そして、学童疎開の悲劇で忘れられないのは「対馬丸」事件です。700名の児童を乗せて沖縄から本土へ疎開しようとしていた「対馬丸」が、アメリカの潜水艦による攻撃によって沈没し、児童を含む1,500が死亡したのは今から55年前の今日(8月22日)でした。
8月は日本人にとって特別な月です。3月1日も3月10日も6月23日も10月21日も、そして12月8日も大事な日ですが、8月はどうしてもあの戦争と戦争で犠牲になった人々を思い起こさせます。私の伯父も、一人は南方で、一人は3月10日の東京大空襲で行方不明のままです。中国戦線で負傷し東京の陸軍病院に入院、ちょうど見舞いに来ていた妻と1歳になるかならないかという子どもと一緒に帰らぬ人となりました。写真でしか知らない伯父といとこです。
先日、テレビで街を行く若い男女にインタビューしているのを見ました。8月15日は何の日ですか、という問いに多くの若者が答えられません。また、戦争特集のテレビ番組も年々減少しています。こんなことでいいのでしょうか。「戦争を知らない子どもたち」は戦争を体験しなかった子どもたちであったのに、今や文字通り「戦争を知らない子どもたち」がどんどん増えています。戦後50年が、いつの間にか「戦前」になりつつあります。決して大げさではありません。8月13日に閉幕した第145通常国会では、新ガイドライン法から始まって、「日の丸・君が代」法、盗聴法と、背筋がゾッとするような法案が次々と成立しました。まさに「いつか来た道」です。
子どもたちに戦争を体験させない、これは私たちおとなの責務です。歴史に残る1999年の夏、8月。その意味をもう一度、深くかみしめたいと思っています。(1999年8月22日 記)
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