●子と父
(清水一郎、塾経営、「共育つうしん」49号、1999年12月掲載)

 9月中旬、高校生(男子4・女子2)を迎えてWEFの特別例会が開かれました。

 会も半ばを過ぎた頃、女子生徒からつぎのような発言がありました。「父とは話さない」「娘のことを分かっているつもりで、本当は分かっていない」などと、かなり深刻な内容です。父親にすれば娘と意志の疎通があると思いこんでいるのに、一方の娘の意識は全く逆というのでは、ピエロというしかありません。ただ、彼女にとっての救いは、「母親とは何でも話せる」ということでした。私自身、高2の息子と小6の娘を持つ父親なので、他人事とは思えず彼女の言葉を聞いていました。

 この例会のひと月ばかり後、私と息子との間でもこれに似たできごとがありました。修学旅行を前にして、息子の学校では生活指導が厳しくなったそうです。彼にしてみれば、全校集会や学年集会の際に口やかましくお説教をする生徒指導主事や学年主任といった先生方への反発があるのでしょう。その不満を母親に話しました。その時に彼が「父も先生方と同じ考えなのだろう」という趣旨のことを言ったそうです。母(妻)は即座に「お父さんの考えはおまえと同じだよ」と伝えてくれたということでした。親の心子知らずということですが、子と父との間で意志の疎通を欠いていたことでは、例会での事例と共通しています。

 その半月ほど後に彼は「生徒会長に立候補して服装の自由化などを通じ、学校を改革したい」などと言い出しました。それも母を通して父子の意志が間接に伝わった結果、PTA役員をしている父親と学校の場で対立する事態にはなるまいと、彼なりに判断したからだろうと私は思っています。

 精神科医の斎藤学さんは、その著書「家族という名の孤独」の中で、母子の間柄は本当の親子関係だが、父子の間は他人の関係なのだということを述べています。我が家でも、子どもたちがしだいに成長してきた数年前から、母子の密着ぶりにひきかえ、父親とは寂しいものだという感じを持つようになりました。今では斎藤さんの指摘に納得しています。

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